男女がペアで踊るあの情熱的なダンスを踊るのがサルサダンス。
今回はそんなサルサダンスがどうやって生まれたのか歴史を辿っていきます。
サルサダンス誕生の物語
民族音楽ソンは、約115年の年月を経てサルサ音楽とサルサダンスを誕生させました
サルサダンスの歴史には、キューバの民族音楽ソンと深い関係があります。ソンの起源説はいろいろありますが、約1850年くらい頃にキューバのサンティアーゴ・デ・クーバの町周辺で奏でられていた、音楽と歌がソンの始まりという説が一番有力です。そして、1900年代初頭の頃にソンの町サンティアーゴ・デ・クーバの軍隊がハバナに移動することになりました。兵士達は休息の娯楽としての楽器も所持してハバナに行きました。
軍人達が演奏して歌うソンを聴いたハバナのミュージシャン達は影響を受け、その音楽を人気のある音楽へと発展普及させていきます。1930年代になりキューバのソンはアメリカに渡り、ルンバと言う名前で紹介されて世界中にルンバ・ブームを巻き起こしました。1940年代の終わり頃になるとルンバにジャズを取り入れた音楽様式のマンボがダンス音楽としてペレス・プラードにより作曲されました。
1950年代半ばには、このマンボ音楽が世界中を席捲しての大ブームを巻き起こします。世界中の人がマンボ曲でダンスを踊りましたが、そのステップは今のサルサダンスのベーシックステップと一緒のものです。
ソン
ソンとは、キューバに労働力で奴隷として連れられて来た、アフリカの人達が培っていたアフリカの民族音楽とスペインのソネット(伝統的な十行詩)が融合したものです。
サンティアーゴ・デ・クーバの町
カリブ海に面するマエストラ湾岸にある港町で、1514年にスペイン人のディエゴ・ベラスケスが作りました。1953年フィデル・カストロ氏とそのグループがこの町のモンカダ兵舎を攻撃しキューバ革命勃発の地として有名です。
1960年代に入りニューヨークからサルサが生まれる
1960年代に入り、キューバ音楽のソンとソウル、ロック、ジャズなどが取り入れられた様々な種類が混じり合う音楽がニューヨークのミュージシャン達により作られました。彼らは、サルサソースが色んな原料を基にして混ざり合って出来ていることにヒントを得て、ソンと他のジャンルの音楽が融合したミュージックをサルサと呼ぶようになります。1960年代に入りサルサミュージックの誕生です。そして、プエルトリコから来た、ニューヨークに住む移民の人達がサルサの曲で踊りました。
しかし、この頃のサルサダンスは現在の様に華麗なものでもなく広く普及してもおらず、プエルトリコ移民の人達だけのものでした。その後、プエルトリコ出身の両親を持つニューヨークのハーレムで生まれた、エディ・トレスというダンサーが大変な努力を惜しむことなくサルサダンスの理論と系統立てを確立し、ニューヨークサルサの礎を築き上げました。
サルサソース
ラテンアメリカ圏で普及しているソースで、トマト・玉ねぎ・パプリカ・唐辛子・ニンニク・レモン・ コリアンダーなどを自由に混ぜ合わせた液状ソースのことを言います。
サルサ映画お勧め作品
面白いサルサ映画2本をご紹介します。まだ、見たことのない方は一度見られてはいかがでしょうか。ダンスシーンも多くストーリーも面白いので楽しめること請け合いです。
BEST 1 サルサ(Salsa & Amor)フランス映画
主人公のレミは、サルサ音楽をやりたいがためにクラシックのピアニストの道を捨てます。しかし、サルサバンドが募集しているのはキューバ人奏者だったために、レミは肌の色を変えてモンゴと名乗りキューバ人になりすまして、サルサダンス教室まで始めてしまいます。そこで、パリジェンヌのナタリーと出逢いラブ・ストーリーが始まる楽しい映画です。
BEST 2 ダンス・ウィズ・ミー (DANCE WITH ME) アメリカ映画
ラファエルは、異国からアメリカに来てダンスホールで雑用係をしています。ホールで練習をする憂いを抱えたルビーを見て彼女に惹かれていきます。ある日、ラファエルとルビーはサルサクラブに踊り行きます。二人は踊りますが、ルビーの言うやり方ではラファエルは踊ることが出来ませんでした。ルビーが手洗いから戻るとホールでラファエルがとても上手にサルサを踊っているではありませんか。それを見て彼女は怒ってホールを後にするのでラファエルは彼女を追いかけます。ここから面白いストーリーが展開されていきます。
映画サルサやダンス・ウィズ・ミーともにダンスシーンの演出が良く出来ていて、ストーリーの内容も充実しているのでとてもお勧めの映画です。